-Death On The Stairs-

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Fateの話をしようじゃないか、という雑談(中篇)~empty 空っぽの人間~「Fate/Zero」の話

※注:本文は「Fate/stay night」および「Fate/hollow ataraxia」「Fate/Zero」更にはTYPE-MOON作品に関してのハッキリとしたネタバレが含まれているので、同作品を未プレイ・ならびに「これからプレイしようとしいる人」はまず、一通りプレイしてからお読みいただけると良いと思います。

 

 

まずは前後編にする予定が「中編」が加わってしまったことに関して。本来であれば、「Fate/Stay night」と「衛宮士郎」の話をして終わる予定だったのだけど、その前提として「Fate/Zero」の話もしておかねばと思い、こういった形にさせていただいた。

...というか話がしたくなったというだけ。

1編増えてしまったけど、懲りずにお付き合い頂けたら有り難い。

さて、「Fate/Zero」(以下Zero)は「Fate/Stay night」(以下SN)の前日譚と言えるお話。「SN」が「第5次聖杯戦争」を描く物語とすれば、「Zero」は「第4次聖杯戦争」を描いた物語だった。

また、「SN」において主人公である衛宮士郎、セイバー、藤村大河といった登場人物の「回想」にしか登場しなかった士郎の「義父」=衛宮切嗣(キリツグ)。彼を主人公とし、彼がいかにして「第4次聖杯戦争」を戦い、いかにして「士郎と出会ったのか」までを描く物語でもあった。

「SN」を知っていれば、この物語が「バッドエンド」へと突き進む物語ということは自明の理。そういう意味では「Fate=悲劇的な運命・逃れられぬ運命」というタイトルに最も見合った作品でもある。

 

「Zero」において特徴的なのは、登場人物のほとんどが「目的」を大前提として生きている(あるいは生かされている)「空っぽな人間」であるというところだろう。

主人公チーム=セイバーチームだけ見てみても、彼ら彼女らは皆「空っぽ」だ。

衛宮切嗣「正義の味方」になり「恒久的な世界平和」を実現するため、自らの近しい人物を容赦なく切り捨ててきた人物。「大」を救うために「小」を捨てる...という選択は、いつしか彼から「人間味」を喪失させ、「心を破壊」していった。また、どれだけその「選択」を取っても自らの「理想」へと近づいていかないことも、彼が「壊れる」要因となっていった。いつしか自らの力のみでの「理想」の実現に限界を感じた切嗣は「アインツベルンの秘術」と、それに伴う「全ての願いを叶える願望器=聖杯」の存在を知る。「過去すら改竄することが可能」な聖杯の力を以てすれば、己の「理想」を叶えられる。そう信じた彼は、いつしか守るべく「他者」のために「自分」をないがしろにする人間になっていった。最初に願った「正義の味方」とは遠い「目標」は、彼にとっての「理想」とはほど遠い、「目的」へと変わっていた。彼はいつしか「目的」のために生きる「空っぽな人間」になっていた。

切嗣の妻であるアイリスフィール・フォン・アインツベルンは、アインツベルンが作り出した「ホムンクルス」であり、「聖杯」にとっての「外装」に過ぎない。もとより「余分」な存在として生み出され、短い生涯を以て死する運命を持ち、それを自覚する彼女もまた「空っぽな存在」であった。

切嗣につき従う久宇舞弥。紛争地帯に産まれ、自らの本名も知らぬまま少年兵(女性だが)として戦地を転戦。隊内で度重なる虐待、暴行(性的を含む)を受けた彼女も「心が殺された」人物であったが、その最中切嗣によって拾われた。その際に与えられた「仮の名前」である「久宇舞弥」を「本名」として受け入れた彼女は、自らの生を「切嗣の道具」として使うことを願う人物。自らの生に「願い」も「望み」も持たず(というよりも持てない)彼女は、正しく「空っぽな人間」と呼べるだろう。

そして、彼らのサーヴァントである「セイバー」ことアルトリア・ペンドラゴンも「空っぽな人間」。祖国「ブリテン復興」のため、「自分」ではない人物を「王として選出し直すため」に「聖杯」を求める彼女は、「国」や「国民」という大枠を大事にするあまり「自分自身」や「臣下」や「親族」をないがしろにした人物だった。彼女の「崇高な姿勢」は多くの臣下から愛され、同時に憎まれた。それを認識しつつも、しかし「聖杯」という「目的」のためにガムシャラに戦い続けたアルトリア。そこには「国王」としての義務はあっても、「人間」としての欲望がなかった(その本質と問題点は聖杯問答内でイスカンダルによって暴かれるわけだが)。そんな彼女は「空っぽ」と呼ばれても仕方のない人物だった。

その他の登場人物に関しても同じ。

魔術師として「深淵」を目指す遠坂時臣やケイネス・エルメロイ・アーチボルトも「魔術師」や「家」という「目的」の為に自らの「人間性を捨てた」人々だった。そのあり方は配偶者である遠坂葵や、婚約者であるソラウへも影響を与え、結果彼女たちの在り方も「ゆがめる」ことになってしまった。

「幼馴染への恋愛感情」や「自分自身が幸せだった日々を取り戻す」ために闘った間桐雁夜。しかしその価値観は一方的なもの。その一方的な価値観を対象に求め続け、それが対象へは一向に伝わらない彼もまた「空虚な目的」のために生き、死んでいく「空っぽな人間」だろう。

「人を殺すこと」にしか「生きがい」を見出せない雨生龍之介は明確に「空っぽ」であり、「自らの生きる理由を求め続ける」ものの「その回答が見いだせない」言峰綺礼も分かりやすいほどに「空っぽ」だ。

また「魔術師としての自らの実力を示し」「自分をバカにしている連中を見返す」という「矮小な願い」を求めるウェイバー・ベルベットも、「本質的な目的」を持たない「空っぽな人間」と言える。

ことほどさように「空っぽ人間」たちが、その「空っぽ」を埋めるために「聖杯」を求め、殺しあう物語が「Fate/Zero」だった。そこには「イデオロギー」はなく、故に戦いは凄惨を極めた。最終的に生き残った人間は3名。彼らの内誰も「聖杯」を手中に収めた者はおらず。そして「聖杯」自体も「願望器」からはほど遠い存在であることが明かされることになる。ある種「無為に終わった」聖杯戦争

しかしながらこの「聖杯戦争」が全くもって「徒労」であったかと、いうとそうではない。少なくとも、生き残った3名は、それぞれに「空っぽ」を埋める「解」を戦いの中で得ることになったのだから。

戦時、唯一無傷で生き残ったウェイバー・ベルベットは、最終局面においてライダー=イスカンダルと「主従の逆転」を行う。「生きろ、ウェイバー。すべてを見届け、そして生き存えて語るのだ。貴様の王の在り方を。このイスカンダルの疾走を」そんな主の言葉を得たウェイバーは、どこか投げやりだった「自らの生」への執着を知る。「生きろ」という「命」に従った彼が、決してかなわぬはずのギルガメッシュへも毅然と立ち向かうのは、彼がこの戦いを以て「一つの成長を迎えた」ことを現す要因だろう。

曲者だらけの「Zero」のチームの中で、唯一爽やかで「主人公然」としたチームだったライダーチーム。故にそのマスターであるウェイバーも、物語内では「唯一」と言って良いほど、ポジティブな「解」を得た人物と言える。

真逆に「ネガティヴ」な「解」を得てしまったのが言峰綺礼。「聖職者」としての在り方を愛し望みながら、それでも埋められぬ「空虚」を抱えていた彼が闘いの果てに理解したのは、「他者の不幸」を「愉悦」と捉える自分自身の「性質」だった。「聖杯」を穢し、満たしている「この世の全ての悪=アンリマユ」へと魅入られた彼は、本来死んでいたはずの肉体を「アンリマユ」によって生かされることになる。それは来たるべき次の聖杯戦争において、彼が主軸となって「アンリマユ」を起動させるため「聖杯」が選んだ采配だった。「神」と「聖杯」と「悪」への捻れた「信仰」を肯定「された」ことで、決定的に「狂ってしまった」言峰。彼がその「解」を今一度ぶつけるのは、ここから更に10年後となる。

自らの「願い」の決定的な「矛盾」を「解」として得てしまった衛宮切嗣。「聖杯」の役割を理解したうえで、破壊を試みるものの、それがかえって「冬木の大火災」を起こす要因にもなってしまう。「大勢を救うため」に「少数を切り捨ててきた」切嗣にとって、「愛すべき少数=アイリスフィールやイリヤ」を切り捨てたにも関わらず、「大勢の命が犠牲となった」「冬木の大火災」を起こしてしまったという事実は、それまでの「理想」や「思想」を根底から覆す事件となった。必死で生存者を求める亡者となった切嗣の目には、もはや言峰の姿は映らず。久宇舞弥が愛した「苛烈な切嗣」は、この時を以て完全に「死滅」した。大火災の中からようやくたった一人の生存者=士郎を見つけ出した切嗣。その瞬間にタイマーが0になるのは、「魔術師」「衛宮切嗣」の「戦い」と「理想」が「終わったこと」を示すためだろう。ただし同時にこの0は、新たな「物語」のスタートの合図でもある。

切嗣によって救われたことで、「それまでの人生」を切り離し、「衛宮士郎」としての人生をスタートさせた一人の少年。彼が切嗣の「意志」と「願い」を継ぎ、「正義の味方」となることが、切嗣にとっての「救い」にもなった。

しかし、士郎にとってこの選択は「呪い」にも等しいものとなる。「正義の味方になる」と誓ったその日から、士郎もまた「空っぽの人間」として生きていくこと強いられるからだ。「自分以外」の「誰か」の生命のために「自分をぞんざいに扱う」あり方は、他人からすれば「苛烈」で「歪」な生き方。

ただし士郎がそんな「歪」な生き方を選んだからこそ、「Fate/stay night」という物語は動き出す。

衛宮士郎という人物が選んだ「選択」によって、様々な可能性が生まれる世界。それを前提にして繰り広げられる戦いは「stay night」という物語が非常に「個人的な物語」であることを示す要因でもある。

次回「後編」では、そんな「Stay night」に関して、触れてみたいと思う。

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