Fateの話をしようじゃないか、という雑談(後篇)~「エミヤシロウ」の「Brave Shine」~
※注:本文は「Fate/stay night」および「Fate/hollow ataraxia」「Fate/Zero」更にはTYPE-MOON作品に関してのハッキリとしたネタバレが含まれているので、同作品を未プレイ・ならびに「これからプレイしようとしいる人」はまず、一通りプレイしてからお読みいただけると良いと思います。
「Fate/Stay night」という作品は、セイバーをヒロインとする「Fate」、遠坂凛をヒロインとする「Unlimited Blade Works」、間桐桜をヒロインとする「Heven's Feel」の3篇にて構成されている。
「ストーリー忘れちまった!」という貴兄は下記にて簡潔にまとめられているので、参照されたし(当然ネタバレ全開なのでお気を付け下さい)。
■衛宮士郎の「歪み」
全てのシナリオで共通しているのは、主人公が「衛宮士郎」である...ということ。それだけでなくシナリオを進めるたびに士郎という人が「どういう人物」であるのかが明らかになる。それと同時に彼が抱える「歪み」が明らかになっていき、同時にそれに対する「解決策」を見出していく...という構造になっている。「士郎は主人公ではなくメインヒロイン」なんていう名言も昔あったけれど、言い得て妙で各エピソードにおいて、其々のヒロインと触れ合うことが、彼自身に「救い」を与えていく。そういう独特なシナリオ構造がこの作品にはある。
士郎が抱える「歪み」とは「正義の味方になる」という目的に起因する。義父であり、自分の命を「救ってくれた」衛宮切嗣から託されたこの「願い」は、切嗣が考えるよりももっと「重要な事柄」として士郎には捉えられてしまった。「冬木の大火災」によって「生き残った」彼は「生き残ってしまったことに苦しみを感じる」「サバイバーズズギルド」に苦しんでいる。その苦しみは、本来であれば「息をしているのを苦しく」感じるほど。士郎のそういった現状は、実はアニメを見ているだけでは、分かり辛い要素だったりする。
TYPE-MOONエースvol.9のインタビューによると士郎はきのこ氏曰く「壊れている奴」「士郎は人間にあこがれているロボットみたいなヤツ」。
- そもそも生きるのが辛い人間。本来は息をしているだけでも苦しい人間がどうにかして人前で笑顔を作ろうとしているというのが「Fate」の根幹にはあると三浦氏(監督)に語ったそうだ。また最初に絵コンテを上げたときに「士郎をあまり幸せそうにみせないでほしい」とも三浦氏は言われたらしい。天涯孤独の身ではありますが、大河や桜といった心許せる人たちに囲まれて、充実した生活を送っています。しかし、そんな状況にあっても真に満たされてはいないことを匂わせてほしいと。
「自分の人生」に「意味」や「目的」を見出せない。故に切嗣から与えられた「正義の味方」という「生き方」に固執する。 「自らの生」へ執着出来ないから、「他者の生」に執着する。「自分の為に生きる」のではなく「他者の為に生きる」ことを突き詰めようとしてしまう...。そんな彼の「あり方」までは切嗣も読み解けなかった。(とはいえそんな彼の在り方はセイバー=アルトリアと近くもあり。故に彼とアルトリアは"最も愛称の良いコンビ"とも呼ばれるのだろう。まま、それはまた別の話。)
結果として切嗣の「願い」を100%引き受けた彼は「正義の味方になる」ため「自分以外の誰か」を守り続け、最終的には「英霊」にまでなってしまう。「アーチャー=エミヤ」と「衛宮士郎」の対峙。それもまた「Stay night」という作品における重要なパートの一つとなっている。「自分自身のあり方」そして「その行く末」と対峙する事は、正しく「自問自答」と言い換えても良いだろう。全3章の中でも2章「UBW」が最も高い人気を誇るのも、この章に主人公たる「衛宮士郎」の凡そ全ての要素が詰まっているからだろう。
■「エミヤ」と「士郎」を分かつもの。
「自分自身=アーチャー」との対峙が最大のポイントとして設定されているのは第2章にあたる「Unlimied Brade Works」。この章では初めて「アーチャー=エミヤ」であること、そして何故「士郎」が「エミヤ」という「英霊」になったのかが明かされる。士郎が「正義の味方」になることを追い求めた結末としての「英霊化」。「英霊」になるということは「世界の守り人」として永久に「使役」される羽目になるということ。しかし士郎は「正義の味方になること」そして「恒久的な世界平和」を実現するために、それを受け入れる。
しかし使役される度に無駄な戦いを繰り返し「世界平和」という理想へとたどり着けない現実は士郎の望んだ「願い」とも「希望」ともほど遠いものだった。「自分勝手な都合」で争いを始め、いざとなると平然と自分を裏切る「勝手な人間たち」にうんざりする日々。数千回、数万回と繰り返される争い、それに加わる自分。叶わぬ「願い」。いつしか英霊「エミヤ」は、望んだ「願いを諦めた」。そしてこの「輪廻」へと追い込んだ自分自身を「恨む」ようになる。英霊「エミヤ」の願いは、過去の「自分を殺す」ないしは「説き伏せて夢を諦めさせること」に変わった。何度となく英霊として使役される中で、いずれ「自分自身と出会う日」を待ちわびながら。
「UBW」は士郎が「エミヤ」との問いかけを通して自らの夢の「矛盾」や「未熟」さに気付きながら、改めてそれを「再肯定」するまでを描いた物語。とはいえ、ただ「再肯定」するだけでは士郎は「エミヤ」と同じ道を辿ってしまう。そこで重要になる要素は遠坂凛だ。
・士郎は凛が側にいる限り、エミヤになることはないとされている。つまり、どのルートでも凛と決別しない限り、その後に士郎がエミヤになることはない。またこれは、アーチャーにとって凛に召喚されたことが、遠回りではあるが救済となった事を意味する。逆に言えば、凛に召喚された彼は、生前は凛と決別したということになる。
英霊となったエミヤと士郎とは、既に「別の人間」なのだそうだが、「エミヤとなる前の士郎」も「凛には出会っている」らしい(ややこしい)。にも拘わらず彼が「英霊」となってしまったのは、どこかのタイミングで「凛と袂を分かったから」と思われる。「UBW」では「エミヤ」と「士郎」とが幾度となくぶつかり合うなかで、両者を分かつ鍵が「凛」であることが明らかになる。その中で「エミヤ」は、「士郎」が「凛」と離れる事が無ければ「自分」にならない事を理解し、「自分自身」のこれからを「凛」に託して消失する。とはいえ「エミヤ」の運命は何も変わらない。「人類の守護者」である枷は未来永劫エミヤを縛り、彼は争いが起こるたびに使役される。それでも自分自身の人生を呪わず肯定できるようになったからこそ、彼は「UBW」のラストシーンで
「それでも───俺は、間違えてなどいなかった───」
と自分自身を認めることが出来るようになる。それは「士郎」にとってだけでなく「エミヤ」にとっても凛との再会が「救い」となったことを示す証明でもある。
■「Brave Shine」
アニメ版(2014~2015年版)「UBW」の主題歌として採用されたAimerの「Brave Shine」。「自分自身の声が出なくなった体験を元に詩を書いた」と彼女は語っていたが、それだけでなく明確に「UBW」の世界観が反映された素晴らしい歌詞だと感じたので、ここではその歌詞を解体してみたい。
覚めない幻見てた
やまない雨にうたれていた”
それを信じられなくなる弱さ
すべてを受け入れて 未来を探す”
消えない影見てた
明けない夜を彷徨ってた”
何も信じられなくなる脆さ
立てなくなっても 運命は進む”
You're breaking dawn 交わした約束の中に
独りを支えた確かな理想を添えて”
すべてを受け入れて 未来を探す