-Death On The Stairs-

So baby please kill me Oh baby don't kill me 浦和とかサッカーとかサブカルとか。

生きるっつーこと

前のブログからこのブログに移行して今日で2年なんだとか。だから別にそれがどうってわけではないんだけど。

折角だからなんか書こうと思って、書き始めたけれど、特段言いたいこともないし、取り留めのも無い話をしようかなと思う。

 

僕はよく口癖のように「虚無だ虚無だ」なんて言うので、一部の人には「あいつは虚無を生きている」と思われているのだけど、それは一部は正解で一部は誤解だ。

僕はこの世の中は「無」だと思っているし、それは確かだ。

だってあまりにも不条理に満ちている。

頑張ってても報われないこともあるし、ボーッとしててもラッキーなことが起きることもある。善い人が長生きするわけでもなければ、悪いヤツに天誅が下るわけでもない。世の中は大抵が「不条理」でそこに理屈はない。そんな「不条理」を僕らに操作する手立てもない。

そう思うとやっぱり根本的に世界は「無」に包まれているような、どうしょうもない無力感に支配されることもある。

とはいえじゃあ「虚無」を受け入れて、「死んだように生きていくべきか」っつーとそうは思わない。

世界が「不条理」で本質的には「無」だからこそ、やらねばならんこともある。

そんな風に思うようになったのは、身近に「不条理」な「死」が何回か起きているからかもしれない。

 

中学のころ「仲間」がいた。友達というよりもそいつは「仲間」に近くって。同じクラスでもなければ、特段親しく話す間柄でもない。絵を描くのが得意で、ゲームが得意なやつだった。多弁な方ではなくて、どちらかというと寡黙で、目立たないけど、クラスの中ではなんとなく一目置かれているみたいな、不思議な雰囲気のヤツだった。

さっき書いたみたいに、学校で特別話す間柄ではなかったけど、地元のゲーセンで逢った時とか、自然とゲームの話をしたり、好きなマンガの話をしたりするような、独特な関係性だった。しばらく経って奴から聞いたのは「お前にはどこか自分と似たところがあるから、同志だと思ってた」なんて言われて、ほんの少しだけ嬉しかったのを思い出す。

そいつが中2になるくらいから学校に来れなくなった。詳しいことは分からなかったけど、どうやら困難な病気になったらしくって、治療に専念せざるを得なくなったのだと聞いた。さっきも言ったけど、表面上特別仲の良い友達というわけではなかったから、お見舞いに誘われることもなくって、しばらくが過ぎて。

高校に上がる直前くらい。ある時急にお呼びがかかった。「なんで俺?」と思ったけど、ヤツが僕を指名したのだそうだ。

 

久々に会ったヤツは雰囲気が変わっていて。色々なものを乗り越えて、どこか達観した存在になっていた。体力的には相当弱っていて、ベッドから移動することもかなわなかったけど、それでも難病にかかっているわりには、元気そうな振る舞いだった。

何を話したのかはサッパリ覚えていない。なんか確かその時流行っていた格闘ゲームの話とか、ヤツが書いたイラストの話とか、そんなことしか話さなかったような気がする。

一番驚いたのは、ヤツが「神様」を信じていたことだ。本当につらくって、心が苦しくなった時、仮に死んだとしても「行く場所がある」と言ってもらえるのが、心の救済になったのだそうだ。だからヤツは神様に関するイラストを何枚も何枚も書いていた。

僕は昔っから「神様」なんて信じないけど、ヤツが本当に救われたような表情をしていたから「それならそれでも良いのかもなぁ」とか考えていた。

そんなことがあってから、割とすぐにヤツは逝ってしまった。まだ高校生になった直後だった。身近な人が、しかも自分と同じ年の人間が逝ってしまうのは、自分でも想像以上にショックだった。

僕はヤツのことが、才能豊かなところも含めてなんだかんだやっぱり好きだったし、当たり前だけど死んでなんて欲しくなかった。

なのにヤツのご母堂は「神様のところにいって救われます」なんて言っていて、僕はそれが本当にイヤでイヤで仕方なかった。受け入れられなった。「神様のところにいってから救うくらいだったら、今すぐ救ってくれよ」と心底思った。なによりヤツがいなくなったのが悔しくって、悲しくって、どうしようもなかった。

当時からもちろん、大切な存在を失ったご母堂の心を「神様」が救っていたのだと分かってはいたけど。

それでもそういう理屈を抜きに、僕はどうしても納得がいかなくって。それから「神様」なるものを信じようと思ったことは一度もない。

 

しばらくして高3の春に、部活の高2の後輩が、何の前触れもなく逝ってしまった。

生真面目なヤツで、僕が部活の部長を引退したあとは、彼が実質的に部長を務めていた。学年テストで何度も1位になるようなホントに優秀なやつで、でもどこか融通が利かないクソマジメなところもありつつ、そこが愛おしい愛すべきヤツだった。

元々身体がちょっと弱くって、時折学校を休んだりしていたというのは、彼の最大の親友から後々聞いた話で、僕は当時そんなことひとつも知らなくて。

でもだからこそ、親友の彼からしても、こんな事態は予想外で。いつも通りの体調不良が、気付いたら緊急事態になって、呆気なく逝ってしまったのだということだった。

彼が淡々と話すのにつられて、僕も淡々とそれを受け入れたけど、やはりフツフツと「実感」が湧いてくる時もあって、やはりなによりもその「呆気なさ」が痛くて、辛かった。

「なんの因果もなく人は死んでしまう」というそれを、なによりも強く痛く実感させられた。

彼の死後、ちょっとよく分からないのだけど、教員を中心に彼の「功績」を讃える流れが発生して、僕も「文集」とやらに「先輩」としてコメントを寄せるように指示された。もちろん断る理由も無いので、彼との思い出を書きながらも、なんともいえない気持ちに襲われたりもした。

「死んじまってから、どんだけ持ち上げられたって、本人にはなにも返ってこないじゃねーか」

とか、そんな身もふたも無いことを考えていたら、いよいよ無難なコメントしか書けず。期待していた原稿と違った内容を読んで、教員も眉を潜めていたような気がする。

だってしょうがねーじゃないか。彼は悪いヤツじゃなかったし、好きだったけど、だからって聖人君主でもスーパーマンでも超天才でもなかった。それが「死んだ」途端に「そういった存在」として祭り上げられるのって、明らかにおかしくないか。かえって本人を貶めることになるんじゃないかと思ったら、果てしなく無難なコメントしか書けなかった。

それになにより、「死んで追悼される」よりも、やっぱり「生きていて」欲しかったんだ。「死んだことを祭り化する」のが、それが僕の心でずっとつっかえ棒になっていた。というかそっちのがやはり大きかった。「追悼文」というもの自体が、どうにも受け入れがたかった。

「死んで花実が咲く物か」なんて言うけど、ホントその通りだと思う。

 

こんな話をして「僕は彼らの分まで生きる必要があるし、彼らの描けなかった未来を紡ぐ必要があるのだ」なんて、美しい纏め方をしようだなんて、全く思わない。

彼らが描いた過去も、彼らが描けなかった未来も、彼らだけのもので、僕には全く関係がない。それを穢すつもりもない。

僕が思うのは、つまり「過去」も「未来」も、そんなに「重要」じゃないってこと。

人間いつ死んじまうか、まったく計算ができない。二人は「病気」で逝ってしまったけど、それだけじゃなくって僕らに操作できない「不条理」は数多ある。

これを書いて眠った翌日にもう目覚めないかもしれない。明日交通事故で死んじまうかもしれない。

それは誰にも予想できないもの。

だとすれば僕は、「今」をなによりも愛して生きようと思う。

仮に納得できない「不条理」や「不運」があったとしても、それをかけがえのない「今」として受け入れて生きる。そしてそれを受け入れた上で、もう少しその「今」を良く出来るように、ちょっぴり頑張ってみる。その「今」を重ねていく。重ねていく「今」が連なって、生まれていく「日々」を愛する。

それが僕にとってこの「不条理」で「虚無」な世の中で「生きる」っつーことなんだよな...というなんのオチも無い話を、不可思議/wonderboyの「Pelicule」という曲を聴きながら思ったりしたっていう話。


不可思議/wonderboy - Pellicule (Official Video)

 

待ってた、俺達はいつまでも待ってた

来はしないとわかってながらいつまでも待ってた

俺達の知る限り時間ってやつは止まったり戻ったりはしない

ただ前に進むだけだから今日は戻らない日々を思い出して笑おう

今日だけ、今日だけは思い出して笑おう

こういうのってあんまり格好良くはないけど

初めから俺たちは格好良くなんてないしなぁ

不可思議/wonderboy-Pellicule