-Death On The Stairs-

So baby please kill me Oh baby don't kill me 浦和とかサッカーとかサブカルとか。

浦和レッズ歴代外国人列伝~記憶のある限り~

 外国人選手が好きだ。

決められた枠の中で獲得され、輝いたり、全然輝かなかったりする外国人選手。

日本人選手の入れ替わりがそれほど激しくないJリーグにおいて「新外国人」の4文字はいつだって胸を躍らせてくれる。

 

 .....ということで一時期TLでよく「外国人列伝」の記事をみかけました。浦和しか追いかけていない自分としては他チームの「名前は知っているけど詳細は知らない選手」のお話はホント面白くてホヘーって感じで楽しませてもらっておりましたが、いざ自チームの記事となると90年代の記載があまりなくて寂しいので、僕の記憶のある限りで書いてみます。むかーし、似たような記事を書こうと思っていたのでいける!多分....。

 

1992年~1993年(黎明期あるいは第1次暗黒期)

 

上原エドウィン

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日系ペルー人MF。

確か最初はエドウィン・ウエハラという登録名だった。途中で帰化して上原エドウィンになった。気がする。

92年~95年までと割と長くいたらしいのだけど、プレーの記憶は全くない。。

 

■マルセロ・モラレス&ビクトール・ウーゴ・フェレイラ

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何故か一まとめで語られがちなアルゼンチーノコンビ。(コンビではない)

浦和がプロ化初年度だけ何故かアルゼンチン体制だったことを思い出すためだけに機能する二人(監督は日本人だったけど)。そして序盤ズッコケのある種の要因としてしか記憶されていない二人。

二人合わせて試合出場数は7試合・ゴール数は0と攻撃の核として迎えられた外国籍選手としてお察しの成績を残し早々に日本を後にしたのだった。

フェレイラはエクアドルリーグ最優秀外国人選手だったんだ、そうなんだー(棒)。

 

■マルセーロ・トリビソンノ

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前述二人と同じくアルゼンチーノ。トリビの愛称で親しまれた。こちらは公式戦にバリバリ出場していたこともあり古参のサポーターを中心に未だに記憶に残るプレイヤー。

子供心に長髪を振り乱してひたすら前にボールを蹴っ飛ばしていた。あとすげー叫んでたくらいの記憶しかない。故に特別優秀な選手だったか、と問われると疑問も残るのだけど、前述2名の外国人があまりにも戦力にならなかったこと、加えてそのテンションの高さが浦和サポーターの暑苦しさとマッチングしていたことで、とても愛された選手だった。

2017年に久々に浦和を訪れたことが記事になっていた。元気そうでなにより(頭はツルツルになっちゃったけど)。

https://www.urawa-football.com/post/28440/

 

1993年~1994年(引き続き暗黒期)

■ウーベ・ラーン

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元西ドイツ代表。「元ブンデスリーガMVP」・「元ブンデスリーガ得点王」という素晴らしい経歴を持って浦和で攻撃の中核を担うべく加入したものの、気づいたらリベロやってた人。それ以上の印象がない。

94年から加入するブッフバルト・バインの陰でひっそりとチームを去った。

 

■ミロ

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ミロスラフ・メンテル。登録名はミロ。

現役スロバキア代表のGKとして浦和でも正GKとして期待された。チームが守備崩壊していた中で数字だけ見てしまうと可哀そうなところで、GKとしてはそこそこ悪くない選手だった記憶がある。

翌年の外国人枠の問題から土田・田北が起用される回数が増え、退団した。

 

■ミヒャエル・ルンメニゲ

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じゃない方のルンメニゲ。兄と違いMF。偉大な兄カール・ハインツと比較されてしまいがちだが、こちらもバイエルンドルトムントなどブンデスリーガのトップクラブで堂々とプレーしてきた実績十分のプレイヤーだった。

ドリブル・パス・シュートとどれも堅実ながらプレーレベルが高く、長く信頼できる外国人プレイヤーに出会っていなかった浦和サポに「あぁ助っ人ってこういう選手なんだなぁ」というのを初めて実感させてくれた選手、という印象が強い。

筆者はプライムゴールというゲームでよくルンメニゲでゴールしていた(どうでもいい情報)。

 

■ルル

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ルボミール・ルホビー。略してルル。

チェコスロバキアリーグ得点王の実績を引っ提げて加入するも加入後即ケガ。その後リハビリから復帰し16試合に出場、8ゴールの記録を収めた。らしいのだけど申し訳ないけどあんまり記憶がないぞい。

 

1994年~1996年(ドイツ期兼第一次躍進期)

ギド・ブッフバルト

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浦和レッズの歴史に名を刻むレジェンド。

シュツットガルトを中心にブンデスリーガで活躍。西ドイツ代表としては当時全盛期バリバリのマラドーナマンマークで抑えきり、母国をW杯優勝に導く原動力となったエピソードがとみに有名。代表引退後の拠点を浦和へと移すと獅子奮迅の活躍。守備がダメダメだったクラブの技術面強化だけでなく、負け犬根性が染みついていたチームを精神面でも強化し、95年からの躍進のきっかけを生んだ。その活躍っぷりからブッフバルトは浦和の心臓」と評された。

決してアジリティが高くなく、むしろモッサリしているにも関わらず抜かれない。抜かれても後ろから”ヌッ”と伸びるストライドの大きなスライディングタックルが相手からボールを容赦なく刈り取っていく。その守備力は間違いなく「ワールドクラス」で、浦和が獲得した外国人選手の中でも屈指の存在なのは間違いない。選手としては「そろそろ辞める!→辞めないで!(首脳陣)→しょうがないなぁ...じゃあ1年契約で。」みたいなのを毎年繰り返しながらも、97年中盤まで浦和でプレーし、最後は白馬に乗って退団していった。

守備だけでなく攻撃陣が不甲斐ないと感じたときはブチ切れたように攻めあがって、ミドルシュートを決めてみせ、チームを発奮するみたいなヤバさがあった。正しく闘将。(この辺は愛弟子=闘莉王に引き継がれたのだった)。

選手としては浦和で栄光を手にすることが出来なかったが、04年から浦和の監督に就任。クラブ初のリーグ優勝・天皇杯優勝といった「黄金時代」の監督としてクラブの歴史に名を残す。

例え後々ロブソン・ポンテ「監督が何か叫んでるから聞きに行ったら”ロビー!なんとかしてくれ!”って指示してたんだ(笑)」と暴露されようとも、その功績は永遠なのだ。

 

ウーベ・バイン

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浦和でウーベといえば、ラーンではなくバイン。口ひげを蓄えた細っちょいおっさんの方なのだ。

ブッフバルトと同じく元西ドイツ代表メンバーとしての実績を引っ提げて加入すると繊細なボールタッチやドリブル・芸術的なスルーパスで局面を打開。ショートカウンターを武器に戦う浦和の戦術に完璧にマッチしアシストを量産。チーム好調の要因を担った。特にエース福田正博との相性は抜群で、福田が95年に日本人初の得点王となる原動力にもなった。ただし福田以外の日本人選手へのパスは辛く、特に岡野にはドSなパスを出すことで有名だった(笑)。浦和では97年までプレー。

パサーのイメージが強いがFKも巧かった印象がある。

ドイツではフランクフルトのレジェンド、というとらえられ方をされている。


Uwe Bein in Japan (1994-1996)

 

トニーニョ

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清水からやってきたブラジレイロアタッカー。どういう経緯でウチに来たのかすっかり忘れてたけど清水側の外国人枠の問題と、浦和側のアタッカー不足が合致したうえでのレンタル移籍という形だったみたい。清水時代は攻撃的MFあるいはFWとしてプレー。飛行機ポーズ(清水のスポンサーがJALだったため)でのゴールパフォーマンスが有名だったが、浦和では自動車ポーズ(三菱自工がスポンサーのため)でパフォーマンスをしていた、という記憶しかない。浦和では26試合出場6ゴール。オジェックの方針でDFとしてもプレーした。清水の体制変更と同時にレンタルバック。

因みに実弟ソニー・アンデルソン

 

1996年~1997年(引き続き躍進期)

バジール・ボリ

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元フランス代表。「ゴール前の殺し屋」の異名を持つボールハンター。96年に浦和に加入するとギド・田口とともに鉄壁の3バックを形成。当時のボリも対人守備が凄まじく全く抜かれる感じのしない選手で97年までの短い在籍ながらとても印象深い選手。

あのタピ会長政権のオリンピック・マルセイユ在籍時、チャンピオンズリーグ決勝で決勝点を挙げたことでも有名。

しかしそんなマルセイユは「八百長疑惑」によってCL優勝の権利をはく奪されたり、自身も引退後に背任容疑で逮捕されたり、と色々プライベートでのアクシデントが多い人生を送っている。

とはいえ昨年取材を受けていたりとどうやら元気そう。良かった。

https://number.bunshun.jp/articles/-/830982

 

■ブライアン・スティーン・ニールセン

デンマーク代表MF。

ドン・ナカヤじゃないニールセン(プロレス好きにしか通じない)。

なんか半年いたらしいのだけ全くプレーの記憶がないぞ。というかこの時期にいたニールセン・バウアー・ネイハイスはまとめて記憶しておく感じのやつで個別の記憶がない。徳川将軍家の11代~13代みたいなイメージ(ひどい)。

 

1997年~1998年(第1次斜陽期)

■ミヒャエル・バウアー

ドイツハゲ=ケッペルが連れてきたオーストリア代表選手(ひどい紹介)。

彼が「私はブッフバルトを尊敬している(キリッ)」って言って入団したんだっけ?それともそれ言ったのネイハイスの方だっけ、みたいな印象。

というか2試合しか出場してないので印象もクソもない。ホームシックで即帰国。その後オーストリアやドイツなどで活躍し2009年に引退したそうな。時代によってはレジェンドに名を連ねていた可能性もあるのかもなぁ、みたいな気もするようなしないような。

 

■アルフレッド・ネイハイス

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オランダ人DF。

前述二人と一緒くたに記憶しているの申し訳なかったくらい浦和では試合に出ていた。97年後期から加入し守備陣の一角を担うもドルトムントのオファーを受けササっといなくなってしまった。プロ選手としては当然の判断なのだが、サポーターとはメンヘラ気質を持ち合わせているので、こういう愛の無いやつは嫌いな選手として記憶される傾向がある。彼もその被害者なのかもしれない(適当)。

 

■アイトール”チキ”・ベギリスタイン

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元スペイン代表MF。

ヨハン・クライフ率いるバルセロナ(通称ドリームチーム)の一員として活躍した世界的ビックネーム。レアル・ソシエダバルセロナデポルティーボでは主にウィングとして活躍したが浦和では攻撃的なMFとしてプレーした。

浦和ではキャリア晩年でのプレーだったが、フィジカル的な低下はあれど技術は衰えておらずインパクトはそれほど強くはないものの堅実にプレーした。99年に浦和で現役引退。浦和OBながら他外国人と比べると関係が希薄(一応記念日とかにはコメントくれる)。

現在はマンチェスターシティのTDとして躍動している。

世界最高の監督とも評されるペップ・グアルディオラがプライベートを含めて信頼を置く人物でもあり、ぜひシティの後はペップ共々浦和で夢を叶えてもらいたい(迫真)。

 

ゼリコ・ペトロビッチ

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現役ユーゴスラビア代表選手として97年後半加入。浦和在籍時にもイビチャ・オシム監督率いる同代表へ招集されるなどバリバリ全盛期に所属していた選手。主にセントラルMF・サイドMF(たまにサイドバックもやってたっけ?)としてプレーした。

決して”上手い”タイプの選手ではなかったが、熱いハートそのままにピッチを駆け回り、ボールを奪い取り、相手ゴールへ猛然と突っ走っていく「狂犬」のようなハッスルっぷりで当時の浦和サポーターから絶大な人気を誇った(退場も多かったが)。

プレーでも言葉でも常に全力でファイトすると同時に、浦和サポーターをリスペクトし、現役代表選手でありながらJ2にチームを落としてしまった責任を感じ、そのまま浦和でのプレーを選択するなど当時の外国人選手としてはあり得ない選択をした選手でもある。

家庭の事情もあり昇格争いの真っただ中チームを離れることとなり、号泣しながらチームを去ったことも印象的。

チームを離れたのちも浦和を深く愛し、02年03年のナビスコ決勝にも誰よりも早く駆け付けるなど「愛」を示してくれた人だった。

だからこそ、”監督”として彼を招いた浦和のフロントを俺は決して許さない。どうみても監督としての能力に疑問符があるにも関わらず「愛情」故に断らないであろう彼を招き、十分なサポートをせず、結果としてサポーターと彼との間にある「絆」を引き裂いた。絶対に許されない蛮行だ。

 

 1998年~1999年(第2次低迷期)

■ジュゼッペ・ザッペッラ

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ミラン所属(出場は0)のイタリア人DF。通称ザップ。ヒロミ・ハラ政権時の浦和で2ndステージ躍進に貢献した、ということなのだけど名前と顔の割にプレイの印象が全く思い出せない。。なんかファールが多かったような、あと意外と点取ってたような....。

 

1999年~2000年(第2次暗黒期)

■フェルナンド・ピクン

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ウルグアイ代表DF。面白い名前(ひどい)。

J2降格間際に加入し、浦和では33試合に出場。全然印象はない。多分それほど悪い選手ではなかったはずなんだけど降格時~J2時代の選手なので印象が薄いのだろうか。。

因みにサカつくではそれなりに使えた印象(どうでも良い)。

 

アンジェイ・クビツァ

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キター!クビツァだああああ!!

ポーランド国籍ながらイスラエルリーグ得点王」、という絶妙な実績を持って浦和に加入した電柱FW。Youtubeなどまだ無い時代。プレー動画などをサラっと見ることもできず、こういった「ロマン枠」がまだまだたくさんあったのだ。懐かしい。

大学No1FW()盛田と共に「大艦巨砲主義」へと舵を切った浦和の貴重なポストワーカーとして期待されたものの、一番期待されたポストがヘロヘロで使い物にならず。34試合11得点と数字だけ見ればギリ合格点といえなくもない成績を上げたものの、踏ん張れないポスト、ごっつぁんゴール多めで決定的なプレーが少ないなど、総合的なプレー内容の良くなさも相まって「ダメ外国人」という印象が強い。

また「長身なのにポストワークがおもちゃ」なFWをクビツァに倣って〇〇ツァと呼ぶようになった語源でもある。(盛田→モリツァ・梅田→ウメツァ)

 

アジエル

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オランダへ移籍したゼリコ・ペトロビッチに代わり浦和に加入したブラジレイロアタッカー。ポジションは攻撃的MF。浦和では10試合のみの出場だったが、息切れしはじめたJ2後半戦で追い上げに多いに貢献した選手として浦和サポーターの印象が良い。

スピード感溢れるドリブルを軸にセンス抜群な選手で浦和としても契約延長を望んだものの、所属元クラブの都合でブラジルに戻ったような記憶がある。

数年後湘南でプレイすることになった際「あのアジエル!?」と驚いたのは割と古参のレッズサポなのであった。

 

2001年~2002年(模索期)

■ドニゼッチ

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J2リーグをギリギリ2位でフィニッシュし、なんとか昇格。

二度とこのような惨状を迎えるわけにはいかない。そんな強い決意の元「新時代の浦和」の象徴として獲得された選手。それがドニゼッチ。

......いや、みんな記憶に無いと思うけどさ。

セレソンとして7試合の出場歴を持つベテランボランチだったが、負傷に泣き思うような活躍が出来なかった。もちろん一年で帰国。そんなわけで「新時代の浦和」が来るのももう少し先延ばしになったのであった。

 

アドリアーノ

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J2リーグをギリギリ(以下略)

攻撃の中核を担ってもらうべく10番を与えられたブラジレイロアタッカー。

「元ワールドユースMVP」「ブラジル国内での有望株」というこれまた絶妙な経歴を持って加入し、予想通り22試合出場6得点、という微妙な成績を残して1年で去っていった。

エピソードとしてはゴールで喜びすぎて看板を飛び越えたせいで2枚目のイエローカード食らって退場した印象しかない。

 

■トゥット

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JFL時代の川崎で大爆発し、FC東京へレンタル移籍。FC東京でもアマラオとのコンビで猛威を振るった金髪のドリブルキング。川崎からの高額な移籍金要求にこたえられなかったFC東京から半ば強奪する形で浦和に完全移籍。

ケガの影響などもあり数字面では同2チーム所属時ほどの爆発を見せられなかったが、エメルソン・永井と組んだ「TENトップ」で期間限定とはいえ破滅的な攻撃を構成(守備も壊滅して志半ばで解体されたのだけど)。02年以降のチーム躍進の礎を築いた。

ミッキーマウスマーチ」を使用した誰でも覚えられるポップなチャントで子供にも人気があった。

 

■アリソン

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2001年10月~2002年8月まで浦和でプレイ。

典型的な10番タイプの選手で技術はあるけど守備はそれなり。スピードもそれほどなく、ノッソリしたプレーをしていたような印象がある。案の定オフトの下では構想外となって神戸に移籍した。故になんか神戸のシマシマユニを着ていた印象が強い。あとその後ガンバにいたの!?マジで!?

 

■エメルソン

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出た、パッソスさん

快速をかっ飛ばし、高速且つテクニカルなドリブルで敵陣を引き裂く。シュート精度はそれほどでも、シュート威力が凄まじく、分かっていても止められない完全なる個人兵器。それがエメルソン。

間違いなく浦和の歴史に名を刻むレジェンドでありながら、同時に歴史に名を刻む問題児でもある。

サンパウロユースの問題児として鳴らしていたところを岡田監督が札幌に呼び寄せJリーグ入り。(初めて見る雪のせいでホームシックをこじらせ泣いたりしながらも)34試合出場31得点という異次元のプレーでJ2を席巻。札幌のJ1昇格に貢献すると、翌年は恩師ピッタのいるフロンターレに移籍(当時J2)。ここでも18試合出場17得点と能力を余すことなく発揮していたが、同年7月に監督と同時に浦和へと移籍する(!?)。

浦和でも問題児っぷりは変わらずだったがオフト監督・ギド監督のもとで徐々に守備などもするようになり(笑)03年にはJリーグ最優秀選手。04年には30試合出場27得点Jリーグ得点王になる。また03年のナビスコカップ制覇はクラブにとっても悲願の初タイトルともなった。

昨年浦和を引退した平川忠亮は今年のNumberの取材で、クラブ歴代最高の外国人は「エメルソン」だと断言していた(ポンテが2位、ワシントンが3位)。練習は全く本気でやらないけれど、本番時にはバッチリ活躍して点を取る。ただでさえスピードが速いにも関わらず、トップスピードにおいてもミスをすることがほとんどない。世界レベルでも稀有な才能の選手だと評していた。

03年からレギュラー化した田中達也とのコンビ「エメタツ」は脅威であると同時にとても見ごたえがあり、ホームスタジアムを埼玉スタジアムに移し、客層拡大を目指していた浦和にとって人気爆発へとつながるきっかけともなった(当時の子供たちはみんなエメタツコンビの虜であった)。

05年以降「日本人になりたい」「お別れなんて出来ないよ」などと語り浦和サポからも愛でられていたにも関わらずあっさりカタール移籍

不振に喘いでいた05年前期、ほとんどのサポーターにとっての希望でもあったエメルソンが、笑顔で白衣のアラブ人と握手している写真がレッズ本スレにアップされたときには、筆者は大学の講義中であったにも関わらず脱力して椅子から崩れ落ちた

その後年齢詐称および経歴詐称が明らかになって同じ年だったはずの田中達也よりも「年上」だったことが明らかになったり、その一件のせいでCWCでの来日が危ぶまれたり(結果来日出来た)もしたけれど、2018年までプレー続行。なんだかんだあったけど嫌いになれない選手。

チャントはYMCA。

 

2002年~2003年(信楽焼期)

 

ネディエリコ・ゼリッチ

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オーストラリア国籍。通称はネッド。ドイツ・イングランド・フランスなどでプレー後京都に加入するも家庭の事情により退団。浦和には02年加入も即負傷し、その年の公式戦出場は1試合にとどまった。ケガが癒えた03年にはリベロのレギュラーとして活躍。室井・坪井・ニキフォロフなどと鉄壁の守備ラインを構築し、ナビスコカップ制覇にも貢献した。

エストロとも呼ばれ、後方から見事なロングパスでゲームをコントロールする優雅な選手で一部で人気もあった。

ケガに泣いた選手という印象が強いものの、エレガントにボールを裁く姿はとても魅力的で「これが本職のリベロか...」と有識者を唸らせた。

因みに足は遅く、その裏を坪井が全速力でカバーするのもよく見る光景だった。

 

2003年~2004年(ヤンセン日期)

 

www11.atwiki.jp

エジムンド

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世界的ビッグネームの元セレソン。だが浦和では黒歴史オブ黒歴史

当時世界トップリーグだったセリエA、その強豪クラブだったフィオレンティーナでレギュラーとして活躍。素行不良などもあり主戦場をJリーグ東京ヴェルディに移すと、そこで異次元のプレーを披露し、J2降格待ったなしのチームを残留へと導く。オールスターゲームでは浦和所属のエメルソンと夢のコンビを組み、ここでも凄まじいコンビプレーを披露。本格的な共演が望まれる中での浦和加入に当時の期待感はマックスだった。

03年カップ戦で浦和デビュー。コンディション調整中ながらも悪くないプレーを見せていたものの、ハンス・オフト監督と(主に練習に関する)意見が対立し、ブラジルへ帰国。そのまま帰ってこなかった。結局浦和での出場はカップ戦の2試合のみとなった。

浦和の失敗補強といえば真っ先に名前の挙がるエジムンド。浦和はこの年の主力として考えていたエジムンドを失ったことで03年序盤非常に苦労することになるわけだが、結果的に山瀬やルーキーだった長谷部がプレー機会を得て成長し、04年以降の躍進へとつながっていくことにもなる。災い転じてなんとやら、と言えなくもない。

 

ユーリ・ニキフォロフ

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02年日韓W杯にも出場した元ロシア代表DF。

03年後半、室井のケガが原因となって加入したまさしく「助っ人」。

スピードはないものの経験に裏打ちされた確かな対人守備でナビスコカップ制覇にも大きく貢献した。確かナビスコカップの予選で、ファウルになると分かっていながら決定的得点機会を阻止。レッドカードを食らい、それに関してなんの感情も示さずに退場していく姿を見たときに「これがプロか」と戦慄したものだ。この年ナビスコカップを制覇しプロ化後初タイトルを手にしたわけだが、ニキフォロフの貢献は非常に大きかったと思う。翌年膝の故障などもあり退団。

 

2004年~2005年(イケイケ期)

 

アルパイ・オザラン

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ニキフォロフと入れ違う形で加入したトルコ代表DF。

激しくも固い守備で闘莉王・坪井(ネネ)と強固なDFを構築し、04年の2ndステージ制覇に大きく貢献した。暑苦しく戦う姿勢を見せる戦士で、そういうキャラが大好きな浦和サポーターから強烈な支持を受けた(筆者もアルパイのユニフォームを所持している)。半面その激しさ故に審判から「要注意人物」という評価も受けており、それにより04年以降は「それがファール?」みたいな判定を受けることも多く、ストレスを溜めていった印象もある。とはいえ、浦和退団後にもアッチコッチで問題を起こしていたようなので、もはやこれは本人の性質に問題(以下略)。

 

 ■ネネ

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本名はファビオ・カミーリョ・デ・ブリート。通称がネネ。ネネってなんだっけ、確か「赤ちゃん」みたいな意味だったような気がする。

坪井の負傷によって緊急的に補強されたブラジレイロDF。加入前は「坪井と同等の快速」などの情報があったものの、ふたを開けてみるとそんなに速くなかった。(とはいえ坪井のように初速から早いわけではないだけで、最終的には何故か相手に追いついているみたいなこともママあった)

屈強というわけではなかったが、ヌルっと奪い取る術に長けたストッパーで、攻撃参加も得意としていた。ハイボール処理も得意で、なんだかんだハイレベルの助っ人だったと思う。05年以降は負傷に悩まされることが多かったが、なぜか大事な場面ではピッチにいてなんだかんだと07年までクラブに残留した息の長い外国人選手。浦和黄金時代というとワシントン・ポンテ・ネネの3人の外国籍選手で記憶している人が多いはずだ。

セットプレー時たまに股間でボールを押し込んでゴールを決めるので「チ〇コゴール」という不名誉な愛称で呼ばれたりもしていた。

 

2005年~2007年(黄金期)

■サントス

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関東第一高を卒業して浦和に加入したブラジレイロDFという変わり種。浦和サポ的には当時在籍していた三都主アレサンドロとの比較もあって「サントス君」みたいに呼んでいた。

浦和では公式戦に出場せず06年にクルゼイロに加入。その後U-20ブラジル代表に選ばれるなど活躍。一時期はポルトガルの名門ポルトFCにも在籍した。

現在は福島ユナイテッドに在籍してるんだって。へー!

 

トミスラフ・マリッチ

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ちょんまげヘアーが特徴のクロアチア国籍FW(ドイツ生まれ)。登録名はマリッチだが、浦和サポにはトミーの愛称で親しまれた(チャントはマーリッチだったが)。

とにかく頑丈な体とそれなりの技術を持ち、ペナルティエリア内で勝負する典型的なボックスストライカー。頑丈とはいえ鼻骨骨折したにも関わらず即日バットマンマスクを付けて普通に試合に出てヘディングまでして「痛いけどまぁ大丈夫」とか言ってた時は「こいつやべぇ」と思った。

当初エメルソン退団後のエースFWとして犬飼社長(当時)が目をつけていたのはエストゥディアンデスに所属していたアルゼンチン人FWのマリアーノ・パボーネだったが、ギド監督の熱意によってヴォルフスブルクに所属していたマリッチを獲得することになった。リーグ戦ではなかなか点を取れない日々が続き、同時期に入団したポンテと比べると「失敗補強」という見方もされていたが、常に手を抜かず、守備もポストワークも寡黙にこなしていく姿が見た目も相まって「侍」と呼ばれ、一部サポーターから支持されていた。

とはいえ得点自体も少なく退団が既定路線となっていた中、年末の天皇杯で爆発。決勝戦を含む全試合でゴールを決め、浦和の25年ぶりの天皇杯制覇へ貢献。

試合終了後浦和サポーターは退団するマリッチを惜しんで試合終了後20分以上「マーリッチ!マーリッチ!」のコールを繰り返し続けた。(筆者も寒さにめげながら鼻水をすすりながらマリッチの名前を叫んだ)

マリッチもそれに答えて試合終了後ゴール裏に合流。涙ながらに声援にこたえた。05年を代表する感動的なセレブレーションだった。

マリッチはその後当時ドイツ3部に所属していたホッフェンハイムに移籍。チームを2部昇格に導く活躍を見せ現在は指導者の道を歩んでいる。


マリッチゴール集

 

 ■セルヒオ・エスクデロ

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FWや攻撃的MFとしてプレー。後に日本国籍を取得しエスクデロ競飛王に。

父のセルヒオ・叔父のオスバルドも日本リーグ時代に浦和(というか三菱)でプレーした浦和一家。いとこのダミアンはリーガエスパニョーラなどでもプレイした。またマンチェスターシティのセルヒオ・アグエロとは家族同士で付き合いがあるなど、顔が広い。

原口元気が登場する以前、浦和ユースの最高傑作・天才といえばこのセルヒオのことだった(それ以前は千島)。ユース時代から「セルヒオっていうやばいやつがいる」という噂はあり、期待に応える形で05年16歳にしてチーム登録。18歳でJリーグデビューを飾った。2006年に初ゴールを決め、2010年あたりには主力に定着。屈強なフィジカルと高い技術力・ゴリゴリしたドリブルで狭いエリアでも局面打開を試みる実に「浦和~」な選手。

ただし決定力と戦術理解力がイマイチでミシャ監督の信頼を得られず、2012年に韓国ソウルFCへ移籍。フィジカルがものを言うKリーグの中では縦横無尽に暴れまわり、主力としてチームをACL決勝に導いた。現在は京都に所属しているが、Kリーグの蔚山現代FCにレンタル移籍中。

いかつい見てくれと違ってとても可愛いキャラクターで浦和サポーターに愛されたが、太りすぎてしまうフィジカル面での課題はついぞ解決できず、結果的にケガの多いプロ生活を余儀なくされている。マックが大好物で同じくマック好きを公言していたエジミウソンと一緒に店舗に駆け込むクソコラが作られていた時代が懐かしい。

 

ロブソン・ポンテ

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来ました

プレー面・人格面全てが優れていた聖人。主にMF(トップ下)としてプレー。

浦和の外国人選手といえばこの人、という方も多いのでは。

ロブソン・ポンテ。愛称はロビー。イタリア系ブラジル人だがキャリアの多くをヨーロッパで過ごす。レバークーゼン加入後レンタル加入したヴォルフスブルクで名前を上げレンタルバック。ベルバトフフランサ(後に柏レイソルで活躍)と協力なスカッドを形成し、04年のCLではロナウドジダンフィーゴロベルト・カルロスなどを擁し当時「銀河系軍団」と呼ばれたレアル・マドリード3-0で勝利するなど欧州の最前線で活躍した。そんな全盛期の真っただ中レバークーゼンとの契約問題でゴタゴタしていたところをギド監督が直接口説き、まさかの浦和加入。(浦和はすんでの所で藤田俊哉を逃しその後トップ下の即戦力を探し続けていた)

当時普通にヨーロッパサッカーを追いかけていたので、ポンテ加入というニュースはあまりに衝撃的で友人と一緒に歓喜の声を上げたのを今でも覚えている(でも筆者はフランサが大好きだったのだけど)。当時28歳と脂の乗りまくった時期の欧州トップレベルのプレイヤーが日本にやってきた、という事例はポンテ以降あまり見た記憶がない。

デビュー戦となったFC東京戦ではゴールだけでなくアシストも記録。一夜でレッズサポーターを魅了してみせた。

そこからの経歴に関して、今更説明する必要はないだろう。圧倒的なスキル、献身性、そしてチームとサポーターを鼓舞する熱いハート。全てが「浦和レッズ」というチームそのものに合致し、ロビーは浦和の絶対的なアイドルになった。

ギドの項で触れた「ロビー、なんとかしてくれ!」は06年最終節での言葉。勝てば文句なしに優勝、という場面で相手チームのエース=マグノ・アウヴェスに先制点を献上してしまったギドがロビーに嘆願したのだ。

そしてロビーはそれに応えた。すぐさまシジクレイを1フェイクで抜き去り同点弾をゲット。試合を振り出しに戻した。

https://sports.yahoo.co.jp/video/player/18952

 この同点ゴールで息を吹き返した浦和はガンバに完勝。リーグ初制覇を達成した。翌年のACL優勝以降はケガに苦しめられる選手生活だったが、紆余曲折を経ながらも2010年まで浦和で活躍。今はポルトガルリーグ・ポルティモエンセのTDとして活動している。(そして浦和にマウリシオやファブリシオといった優良外国人を派遣してくれている!)

浦和サポーターはロビーに決して足を向けて眠れないのだ。

 

■ワシントン

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被弾!ひだ~ん!!

浦和黄金時代といえばポンテ・ネネそしてセルケイラ艦長

190㎝88㎏の巨躯でボックス内のあらゆるDFを封じ込め、巨体に似合わぬテクニカルなドリブルで数々のゴールを記録した浦和史上屈指のスーパーエース。それがワシントンである。

心臓疾患を克服しプロサッカー選手として復帰した過去を持つことから、ゴール後には左胸を叩くパフォーマンスを見せるこのFWが初来日を果たしたのは東京ヴェルディ。当時アトレチコパラナエンセで34得点を挙げ、セレソン復帰すら噂されていた選手の日本移籍は衝撃的だったが、日本でのパフォーマンスは更に衝撃的だった。日本のDFを子ども扱いし、パワーだけでなくテクニックでも翻弄。ヴェルディでも33試合出場22得点と実力を遺憾なく発揮するも、チームは降格。強力なストライカーを欲していた浦和へと移籍した。

浦和でのプレーも衰え知らず。特に当時日本代表でブイブイ言わせていたマリノスのCBコンビ(松田&中澤)をドリブルでチンチンにしてゴールを決めたのは衝撃的だった。

とはいえペナルティエリア外での貢献は今一つで、件のNumberの取材に対して平川は「下がってボールに触ろうとするんだけど、そこでは驚くほど下手でミスするので”頼む下がってくるな!”と思っていた」と告白している。

フィジカルとテクニックを共有することで敵の脅威となり続けた選手だったが07年にはケガも増えコンディションが万全では無いことも増えた。そんな中でオジェック監督との不和もあり、07年末ACL制覇・CWC3位を置き土産に浦和を退団。その後は古巣フルミネンセサンパウロなどで変わらない活躍を見せた。

引退後には実業家・政治家として活動しているが山田の引退試合には駆け付けて往年のファンを魅了した。


2006年J1リーグ得点王ワシントンが現役時代を振り返る。:THE LEGEND SPECIAL INTERVIEW ワシントン 編

 

2008年~2009年(暗黒ゲルト期)

エジミウソン

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エジミウソンドス・サントス・シウバ。新潟からやってきた万能FW。

新潟では138試合出場76得点でエースとしての地位を築いていたが08年浦和に移籍。”ワシントンシンドローム”抜けきらない空気の中で「ブラジル人助っ人FW」として背負うプレッシャーは相当大きく、当初はチーム順応に戸惑ったものの、その後は順調にチームに馴染み、在籍期間中は毎年2桁得点をマーク、としっかりと期待に応えて見せた。にも拘わらず不当に評価が低い選手。

ワシントンのようなボックスストライカーではなく、前線からのチェイジングやポストワークなど「不慣れ」と思われる仕事もチームのためであればしっかりこなす「汗かきタイプ」のFWであり、チーム自体のコンセプトがフワフワしていた(及び過渡期だった)2008-2011という在籍時期にも関わらず毎年2桁得点をマークし続けた事実は、今振り返ればやはり偉大だと思う。

特に09年以降のチーム全体の若返り(というか財政圧迫)路線の中周囲のサポートが極めて少ない状況でも自らのエゴを殺して働く姿は涙なしには見られず、その苦労を見て見ぬふりをしてヤジを飛ばす連中とどれだけ戦ったか。。当時の記憶がよみがえる。

2011年、待望の9番を背負うものの、「チーム事情」によって中東に売られる、という最悪の別れ方をした。今でも申し訳ない気持ちになる。

2012年にはFC東京・2015年にはセレッソ大阪でプレイするも、当時の面影はなかった。

 

2009年~2011年(フィンケ爺と土台期)

 

■ファイサル

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ファイサル・モハメド。ポジションはFW。

09年フィンケ爺が連れてきたガーナの秘密兵器フィンケ爺がアフリカに造詣が深い影響で日本へとやってきた。どんだけ秘密兵器かというと朝大原にいくと知らないアフリカ人が飯食ってた、ってくらい秘密兵器。

「なんか凄い速いらしい」みたいな噂がありながらも終始そのベールは包まれたまま、フィンケ爺の退団と同時期にガーナへと帰っていった。練習を見た方は細すぎて当たり負けしまくっていたとか。まだサッカーやっているのか、まったく不明。明らかに体細かったもんなぁ。。

 

マシュー・スピラノビッチ

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2010年にやってきたオーストラリア代表DF。

浦和のアジア・オセアニア枠獲得選手第1号でありスポーツ新聞の飛ばしもなんにもなく急にオフィシャルHPに移籍報告が乗った第1号でもある。

ドイツ・ブンデスリーガニュルンベルグに所属しながらも細かい故障が多く定位置を奪いきれない現状などもあり「しっかりとした出場機会を得られるクラブ」として浦和でのプレーを選択。加入当初も細かい故障が多かったもののシーズン中盤以降は定位置を確保。高さを生かしたハイボール処理。読みの判断も良く、スピードもそこそこと高いレベルでまとまったDFだったが、足元の技術は悪くないんだけどもう少しという感じ。ケガが多かったこともあり完璧なレギュラーとして過ごした時期は少なく、2012年のミシャ政権下でも足元の技術や攻撃参加能力において監督の信頼を得られず、同年カタールへと移籍していった。

チームの方針展開の中で才能を持て余した選手の一人、という印象。

 

ウィルフリード・サヌ

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「オ!サヌー!!」(チャント)

フィンケ爺の愛弟子としてケルンからやってきたブルキナファソ人FW。

本職はFWだが、浦和では主に両サイドバック、両サイドハーフとしてプレイした。165cmと小柄ながらも身体能力が高く、アジリティとタフネスを兼ね備えたプレイヤーだった。豆タンクみたいな見た目通り、なんだかよくわからないけど頑丈。サイズに似合わぬパワーシュートなどアフリカ選手独自の個性を見せつけ、なんだかんだと人気はあった。とはいえ慣れない左サイドバックでのプレーがメインとなり守備においては苦労する場面も多く、宇賀神の台頭に伴って徐々に活躍の場面が減少。FWとして出場した試合でも特段インパクトを残せず、2010年シーズン限りで退団となった。

2012年には京都サンガでもプレー。変わらぬ豪快なゴールパフォーマンスを見せていた。

 2011年~2012年(極悪暗黒期)

マルシオ・リシャルデス

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2011年新潟からやってきたゲームメーカー。

主に攻撃的MF・1.5列目のアタッカーとしてプレイした。

新潟在籍時はJリーグ屈指の外国人プレイヤーとしてチームに君臨。特に2010年には自己最多となる16得点、うち7得点はフリーキックでと目に見える大活躍。浦和にもロブソン・ポンテの後継者として大きな期待を背負って加入したものの2011年は大ブレーキ。フィジカルを重視し、中盤をかっ飛ばしたウィンガー勝負サッカーを志向するゼリコ・ペトロビッチ監督の方針とは全く合致せず、適正ポジションを見出すのに苦労(マジでなんでこの年の目玉補強が彼だったんだ!?)。また本人のコンディションも整わずという中でシーズン3得点2アシストというトホホな結果に。

しかし2012年からのミシャ政権下で1.5列目でレギュラーポジションを確保。持前の技術を生かしたワンタッチの崩し、新加入のポポとのコンビネーションも良好で、浦和加入後最高のパフォーマンスを発揮。チーム3位躍進に貢献した。ただし好事魔多し。2013年以降には負傷も多くなり、2014年には手術。最終的にトップフォームを取り戻せずに2014シーズンをラストに退団した。

「浦和は新潟の主力を奪っては腐らせる」との格言はこのマルシオの状況を持って立証されてしまった感もある。

 

ランコ・デスポトビッチ

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中東に売り払ったエジミウソンの代わりにやってきた元セルビア代表FW。

「スペイン二部ジローナで30試合出場18得点」という久々に色んな意味で胸躍る絶妙な経歴を持って加入した。マジメで、良い人。なのは分かるんだけどフットボールプレイヤーとしては色々足りない選手だった。CFとしては頑丈さに欠け、STとしては器用さに欠け、なんつーか痒い所に絶妙に手が届かない。いや、良い人なんだけどね!

2011年はそんなこんなでリーグ無得点。2012年もチョロチョロと使われつつリーグ戦1得点とFWとしてはてんで期待外れに終わった。

2011年のナビスコ杯でカップ得点王(5試合4得点)となったのが唯一の殊勲(優勝できればマリッチになれたかもしれぬ)。

2013年は負傷の影響もあり出場なく6月に契約満了で退団。セレモニーをしたはずなんだけど、何故だ記憶がない.....。(スマン)

 

マゾーラ

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柱谷兄が見つけてきたブラジレイロFW。

2011年という近代に現れた浦和の「面白ビックリロマン枠」。

サンパウロの秘宝」「エメルソンを思わせる強烈なドリブルスキルとスピードそして突破力」など「ロマン」を掻き立てる単語の数々で浦和サポーターの期待をあおりにあおり、そして壮大に裏切ったトホホマン。2011年という”暗黒年”と同時に思い出される象徴的な選手。

確かに巧い。巧いんだけど、周囲と共存しようという意思がまるでない。また「ポジショニング」という概念もすっぽ抜けており、所在なくピッチを漂いながら、ボールを持たない場面ではほとんどゲームに関与しないという、マラドーナもビックリな王様っぷり。

それでいてボールを持った時の爆発力も「偶発的」。凄いときは凄いドリブルとか凄まじいパワーシュートを決めるのだけど、それが二度はない。流行りの言葉でいえば「再現性」がまるでないサイコロみたいなギャンブルプレイヤーだった。

原口・マゾーラという「得点力と突破力を兼ね備えたウィング」を軸にオランダ式サッカーを再現しようと試みたゼリコ浦和は、マゾーラが「使い物にならない」ことであっという間に瓦解(そもそも再現に必要な長身FWもいなかったんだけどね)。チームはあれよあれよと残留争いの真っただ中へと転がり落ちていったのであった。あぁ悲しい。

浦和では公式戦26試合出場4得点というなんともはやな結果を残し翌年レンタル元へと帰っていった。その後は岡田さん政権の中国リーグ杭州緑城なんかでもプレーした。

まだ30歳だし、どこかでサッカーやっているはず。

 

2012年~2017年(ミシャ期)

■ポポ

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柏レイソルからやってきたマッチョマン。

Kリーグで活躍した後Jリーグに来日。柏・神戸と所属でコンスタントに実績を残し2012年から浦和所属。

小柄ながらも屈強な肉体を駆使し、前線で軸となったり、アジリティを活かした突破力、フリーランでの局面打開を得意としていた。またフリーキッカーとしても優秀で地を這うパンチのあるシュートは見ごたえ抜群であった。

もともと「点取り屋」というタイプの選手ではないが浦和での成績は21試合出場3得点と数字的にはパっとしなかった。しかし”暗黒”からの復帰を目指す中でマルシオ・原口などと抜群のコンビネーションを見せながら局面を打開していく姿は数字以上に印象的で、筆者個人としても結構好きな選手であった。サブでも決して腐らないプロとしての姿勢も立派。あと単純に良い人オーラがめっちゃ出てた。

翌年2014年にはJ2に降格してしまっていた古巣神戸へ移籍。シーズン16得点を決める活躍を見せ健在をアピールしてみせた。

 

ズラタン

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スロベニア代表FW。フルネームはズラタン・リュビヤンキッチ

2012年大宮アルディージャに加入すると母国の僚友ノヴァコビッチと共に2012年の残留、2013年前半戦の躍進に貢献した。浦和には2014年加入。

屈強な肉体とアジリティを共存させたプレイヤー。大宮時代から得点源というよりはサイドに流れてのアシストなどを得意としていたが、選手層の厚い浦和ではより一層「スーパーサブ」としての側面が強くなってしまった。しかし限られた出場時間の中で決定的な仕事をすることも多く、数字以上に印象に残る選手。

退団が発表されていた2018年ラストの試合となった天皇杯決勝ではキャプテンマークを巻き、12年ぶりの天皇杯制覇に貢献。

 本人にとっては色々と思うところもあったはずだが最後まで浦和を愛してくれたナイスガイであった。

 

■ブランコ・イリッチ

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スロベニア代表。代表選手としても60試合以上の出場歴を持ち、スペインのレアル・ベティスセルビアパルチザン・ベオグラードなど名門クラブでのレギュラー経験も持つ即戦力として2016年浦和加入。

まぁ加入前に「あれ?この人SBが本職っぽいけど、どう使うのかな??」という懸念が抜けきれなかったわけだけど、結局その懸念そのままの存在になってしまった。

加入直後からケガで離脱するなどついていない面もあったが、ミシャ戦術に最後までアジャストできなかった。試合には当然CBとして出場したわけだが、求められる展開力や攻撃参加に関して満足なものを見せることが出来ず「う~ん、これは」と思っていたらあっさりスロベニアに帰ってしまった。しょうがないね、CBいないときはそこに宇賀神使ってたもん、ミシャ。

故に最近の選手にも関わらず印象薄さの極みなのであった。

 

ラファエル・シルバ

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ラファエル・ダ・シルバ。

2017シーズン第1弾の補強として性懲りもなく新潟から取ってきた助っ人FW。当時新潟サポから「ラファクラスすら取ってくのかよ.....!期待ほど活躍しねーよ....。」などと恨み言を吐かれていた。スマン。

でも結果的に新潟から取った選手では一番の「インパクトを残した選手」になってしまった。

新潟時代にはカウンターで能力を発揮するスピードタイプのアタッカーという見られ方がメインだったので、パスサッカーを志向している(と思われていた)ミシャサッカーには適応しないのでは?という懸念もあった。

その懸念通りバイタルエリアの細かい崩しみたいなものはあんまり得意ではなかった。しかしショートカウンター発動時にゴールに一番近い場所にいることで才能が開花。長距離走を強いられていた新潟時代とは異なりゴールへの最短距離を走ることで体力に余裕が生まれ、トップスピードでもミスをしないドリブル、パンチのあるシュートといった能力を遺憾なく発揮。序盤こそ出遅れたが結果的にはシーズンキャリアハイとなる12得点を記録。またACLでは11試合出場9得点とアジア勢の脅威として旋風を巻き起こし、浦和の2007年以来10年ぶりのアジア制覇に大きく貢献してみせた。

組織内ではイマイチでも個人兵器として抜群に使えることをアジア圏内でバッチリアピールしてしまった結果当然中国からオファーを受け、移籍金満額(9億円弱)を残して中国2部(当時)武漢にドナドナされてしまった。

中国2部では当然のように活躍し(23試合出場22得点)チームをスーパーリーグ昇格に導いたのだそうな。

元々ヨーロッパでプレイしていた選手だしまだ若い(満27歳)ので、活躍いかんではセレソンの可能性だってあるんではなかろうか?期待しよう。

 

■マウリシオ・アントニオ

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マウリシオ・デ・カルヴァーリョ・アントニオ。

名字が名前みたいな選手ランキング暫定第1位(俺認定)。ロビーのお恵み第1弾。

ブラジルU17代表の実績...というだけだと「外れ外国人」感否めない実績だが、ポルトガルリーグのマリティモでレギュラーとしてバリバリに出場していながら、浦和に夏加入という驚きの移籍劇を見せた選手(しかも前情報がほとんどなかった)。

髭ぼうぼうで仏頂面なので、ベテランの風格すら漂わせているがまだ27歳。サッカー選手としては油が乗りまくっているタイミングでプレーしてくれている。

対人守備に強く、高さもあり、足元も巧い、という三拍子揃ったプレイヤー。しかしデュエルに自信がある故に相手に食らいつきすぎてしまうという悪癖もあり、この辺は要修正点でもある。

ヘディングでの得点を得意としており、セットプレーの得点源としても優秀。即日ポルトガルにレンタルバックしてしまうと思いきや、浦和への完全移籍を選んでくれた聖人。長く浦和でプレーしてほしい。

 

2018年~2019年(そしてまた迷走期)

■クエンティン・マルティノス

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オランダ育ちの元キュラソー代表FW。主なポジションはWG・SH。

マリノスでほどほどに活躍していたところを3トップをやりたい堀さんが引き抜いた。が堀政権がほどなく瓦解。ワンフェイクとスピードで抜き切ろうとするワンパターンなプレー戦術や本人の戦術理解度の低さも相まって主力には定着せず、2018年はぶっちゃけ「失敗補強」という印象の選手だった。

オリベイラ政権では「狭いとこにも怯まず突っ込んでいくアホさ勇気」を買われ、1.5列目の特攻隊長みたいな使われ方をされはじめ、徐々に居場所を見出している感はある(大槻さんもおおむね同じ起用法)。

足元の技術はほどほどだが、アジリティには目を見張るものもあるので、是非頑張ってほしい。あと多分スゲー良いやつ。

 

■アンドリュー・ナバウト

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現役オーストラリア代表FW。

元々はWGとしてのプレーが多かったが、浦和加入後は主にCF・STなどで起用されている。

見た目通りの重戦車のようなドリブルが一番の持ち味。「オーストラリアの選手」というと想像できるプレイヤーをまんま表現したみたいな選手。パワーとスピードに優れているものの、技術はまぁまぁ。シュートもパンチはあるが、精度は低い。けれどもとにかくタフで一生懸命。チームのために90分間戦える選手でもある。

オズワルド・オリヴェイラ政権下では主力として期待されていたものの、川崎戦で負傷。定位置確保の機会を逸してしまった。

傷が癒えた今季も、定位置争いは苛烈で確固たる地位は得られていないものの、持前の「頑張り」が評価されてコンスタントに出場は果たしている。

この人もTwitterなどからにじみ出る人格の良さが半端なく、間違いなく良い人だと思う。(なんなんだこの評価)

 

ファブリシオ

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ブラジレイロFW。ロビーの贈り物その2。

鹿島在籍時にはぶっちゃけ全く印象に残らないプレイヤーだったが、その後移籍したポルトガルリーグ・ポルティモエンセでは主力として活躍。公式戦33試合で16ゴールとバリバリに活躍しているところをまた何故か浦和に移籍。

浦和でも実力を遺憾なく発揮し、加入後9試合で6ゴールの固め打ち。C大阪戦で靱帯損傷の重症を負ってしまい離脱。結果的にチームも下降してしまった。

フリーランやポストワークなど当たり前のプレーを当たり前にキッチリこなしてくれる非常にハイレベルなFW。あとは文脈なくいきなりぶっ放されるミドルシュートが驚異的。湘南戦で戦列復帰を果たしたものの、完全復活が待たれる選手。

 

■エヴェルトン

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ポルトガルからやってきたブラジレイロMF。ロビーの贈り物その3。

ポルティモエンセでの活躍を認められ、名門ポルトFCと契約。2018年は元所属チームのポルティモエンセへレンタル移籍という形でプレー。今季はロビーの紹介もあり、ポルトから浦和へ期限付き移籍、という形でプレーしている。

現代的なMFらしく、球の出し入れで緩急をつけていくセントラルハーフ。特別派手なプレーを見せることはないが、周囲との連携を軸に攻撃にリズムを与えていく選手。半面単独ではフィジカル的に相手を引き付けることが出来ない選手なので、今期前半戦かれを1ボランチに据えた采配は苦肉とはいえ失敗だった。

長澤・青木など体が強く、サポート能力に秀でたプレイヤーと共存することで存在感を発揮するプレイヤーだと思うので、今後の起用に注目したい。

 

ということで2019年までオーガナイズしてみました!不備があっても優しい心で見逃してくれるとありがたいです。。(適宜修正しますが)