-Death On The Stairs-

So baby please kill me Oh baby don't kill me 浦和とかサッカーとかサブカルとか。

これはただの「ジョーク」~映画「JOKER」の感想を1000文字以内でなんとかする~

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※ネタバレありです。


「JOKER」という映画を恐ろしいと感じる人が多いのは無意識下において「ジョーカーに共感する自分」を発見してしまうから、なのかもしれない。

今回主人公となるアーサーの境遇とその不遇には思わず同情や共感を抱かざるを得ないはずだ。何故ならストーリーを追えばそう感じてしまうのはとても自然だから。

愛されず迫害され、それ故に背負った障害に苦しみ、しかし救いはなくただ追い詰められていく哀れな男。狂って、世界を壊そうとしてしまうこと、その行為の是非はともかく、その選択自体に納得してしまうような物語。

結末のやるせなさに、鑑賞後多くの人が抜け道のない暗闇に包まれるような失望感に引き摺られるだろう。けれどその感覚もひょっとするとジョーカーによって仕掛けられた「ジョーク」の賜物なのかもしれない。

というのもこの映画にはある意地悪な仕掛けがあるからだ。アーサーと恋仲になる女性ソフィー。しかし彼女と「恋仲になった」という「事実」が実はアーサーによる「妄想」に過ぎないことが物語中盤に明かされる。

これがアーサーをジョーカーへと変貌させていく最大のきっかけともなるのだが、反面この事実が明かされることによって物語そのものの信ぴょう性すらも揺らいでいく。アーサーの視線や経験が主となる物語において、その一つが「妄想=嘘」であると分かる。すると物語の中で起きること全てが「嘘」である可能性が出てくるのだ。

果たして証券マンを射殺したのは本当にアーサーなのか。彼を虐待した母親は実在するのか。そもそも彼自身の出自に纏わる記録も真実なのか。全てが疑わしく思えてくる。所謂「信用できない語り手」映画へと作品そのものが変わっていく。*1

ラスト、瞑目していたアーサーは目をカッと見開き「ジョークを考えていたのさ」と精神科医に語る。*2

果たして彼が考えていた「ジョーク」とは物語そのものを指すだけなのか。

ひょっとするとこの映画が喚起する賛辞や批判や共感や怒りといった感情とそれを基にした論争そのものを含めて彼は「ジョーク」と表現したようにも思えてくる。

ジョーカーは常に「動機を持って悪を行う」のではなく、「自らの行動をもって混乱を引き起こすこと」を是とするヴィランである。*3

だとすればこの映画を巡る現在の状況は正しく彼の思い通りであり、その狙いを明確に達成させている事実こそが、この映画の一番の「怖い」部分でもあるように思えるのだ。


Joker | Final Trailer | Experience it in IMAX®

*1:実際「ダークナイト」においてヒース・レジャーが演じたジョーカーは劇中3回自らの出自を語るのだがその全ての内容が「異なる」。この「信用出来なさ」はこの作品に限らず、ジョーカーというキャラクターの本質でもある。

*2:精神科医が前半に登場したソーシャルワーカーに似ている(同一人物?)であることも意図的だ。

*3:そしてそれこそが彼にとっての「ジョーク」でもある。